ギリシャ&ギリシア悲劇の紹介

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ギリシア悲劇(ギリシアひげき)は、古代ギリシアで、アテナイのディオニュシア祭で上演されていた悲劇またそれに範を取った劇をいう。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされる。

アテナイにおける悲劇の上演は競作の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇と一つのサテュロス劇をひとまとめにして上演する必要があった。現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスのオレステイア三部作のみである。いずれにしても、題材は神話やそれに類するものから取られる。 聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていた。 最も有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスである。プラトンも最初は悲劇詩人を目指していた。古代ギリシア喜劇のアリストパネスは、その作品「蛙」の中で三大詩人の批評をやって見せている。

悲劇は仮面をつけた俳優と舞踊合唱隊(コロス)の掛け合いによって進行する。コロスの登場する舞台をオルケストラといい、劇場は円形のオルケストラを底とするすり鉢状の形を取った。現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構はエピダウロスに見られる。俳優は最初はひとりであったが、アイスキュロスが2人に増やした。これによってドラマチックな演出が可能となり、舞台芸能として大きく進歩したと言われる。その後にエウリピデスがもう1人増やして三人となった。

古代における悲劇論としてはアリストテレスの『詩学』が有名である。

ギリシア悲劇の成り立ちについて記した書物には、フリードリヒ・ニーチェの『音楽の精髄からの悲劇の誕生(悲劇の誕生)』があるが、これは多くニーチェ自身の思想の表明と見られ、文献学的にはあまり支持されない。

イギリスの著名な女性古典学者、ジェーン・エレン・ハリスン(1850-1928)に、『古代芸術と祭式』(佐々木理訳、ちくま学芸文庫、1997年、別訳版で『古代の芸術と祭祀』、星野徹訳、法政大学出版局、1974年)がある。

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